中途半端な人生の終わらせ方。
中途半端な人生。昨日も、今日も、明日も。
なんでもかんでも中途半端にしてしまった先に残るものはなんだ。
ダラダラ中途半端なことをしている自分に罪悪感がありますか?
罪悪感なんて全くありませんか?自分は今最高の時間を過ごしていると思ていますか?
自分が中途半端で罪悪感ある人は、今すぐ終わらせよう。中途半端な自分は今日でお別れだ。心に無駄なストレスを抱えている。
罪悪感なんか全くないという人は、素晴らしい人だ。自分が人生の主役であり、自分を受け入れているからだ。
「幸せは心が決める」
だから、中途半端な自分を許せない人は、心と脳がすれ違っていて、無駄にストレスを感じている状態だ。楽になるには2通り。
自分を受け入れるか、自分を変えるか。
ただそれだけ。
中途半端とはなんぞ?
ちゅうと-はんぱ【中途半端】
1.[名・形動]始めた物事が完了しないでいること。態度などが徹底せず、どっちつかずの状態であること。また、そのさま。「何をやらせても―で終わる」「―な態度」
辞書ではこのように定義されているが、実際の生活ではどうか。
例えば、
”ダイエットを始めた。1日でダイエットやめた”
”英語の勉強を始めた。3日でやめた”
”楽器を始めた。半年で楽器に触れなくなった”
良くあるパターンだ。とにかく長続きしない。どうしても長続きしない。そんな中途半端に当てはまる言葉は他にもある。
「熱しやすく、冷めやすい」
熱した時は、とにかく夢中だ。寝る間も惜しむほどに。でも、そんなに熱中していたにもかかわらず、自分が納得し始めるとやめてしまう。不思議なくらいにパタっとやめてしまう。やる気も起きない。
その熱中していた時期に得た知識も、すぐに忘れてしまうだろう。
思い当たる節がある人にはぜひ読んでもらいたい。
中途半端のメリット、デメリット
中途半端のメリット
中途半端にもメリットはある。
いくつか考えられるメリットを並べてみた。
- 広く浅い知識を持つ
⇒幅広い知識を持つ。様々な内容の話に対応が可能であり、興味を持つことが出来る。
- 何でもそつなくこなす(八方美人)
⇒好き嫌いをせず、並もしくは並以上の対応をすることができる。敵を作らない。
- コミュニティーへの適応能力が高い
⇒あまり批判をしない。
これらが中途半端な人生に与えられたざくッとしたメリットだ。中途半端な人は社会への適応能力が非常に高いということだ。
中途半端のデメリット
メリットもあるが、当然デメリットもある。
- どの知識、技術も完成されていない
⇒幅広い知識、技術を持つ反面、あまり完成されたものではなく、周りからすると「普通」としか感じられない。
- ストレスを溜めやすい
⇒八方美人であるが故に、自分の気持ちを押し殺し、我慢する傾向がある。
結果、ストレスが溜まりやすい。愚痴が多くなる。
- 社会の歯車、潤滑油になりがち
⇒社会への適応能力が高いことの裏返しで、我慢が癖になっていて、自分の意思が弱い。
以上の三点を挙げてみた。当てはまってはいないだろうか・・・?
なぜ中途半端になったのか?
”こんなはずではなかった。”
そして、”親”とか、”環境”に責任転嫁する。
しまいには”DNA”とか、”ご先祖様”という話になるツワモノもいる。
こうなってしまうのはやはり理由がある。特に幼い頃、親に言われたことしかやっていないとか、人生の問題、分岐点、選択を自分自身で解決していないとか。
さらに、学生時代の成績はそこそこという人。
間違いなく素質がある。
”あまり努力をせず、苦労をしなかった”
胸に手を当てて聞いて欲しい。今まで、本当に苦労したことはあっただろうか。自分で考えて乗り越えたことはあっただろうか。いつだってそばに誰かがいて、助けてくれたのではないだろうか。
本当の一人を知らない
自分の力だけで何かをしなかった。でも、しなかったんじゃなくて、する方法を知らない。自分で考える環境がなかったから。それは運命だったとしよう。でも、何かのせいにするのは今日が最後にしよう。今日は、今までは、ただそういう運命だった。
本当の意味で強い人間、信念のある人間、魅力のある人間はいつも自分で考え、選択している。
中途半端な人生の終わらせ方。
以上のことを踏まえて、中途半端を辞める方法を考えよう。
大切なことは
-
自分を知る
-
周りを気にしない
-
今一瞬を大切にする
-
不要なもの、迷ったものは捨てる
-
習慣を作る
これだ。
自分を知る
何のために生きてる?何が楽しいの?何がしたいの?
これらの問いにきちんと答えられるだろうか。全ての問いに答えて欲しい。論理的判断によるのも良し、感情的に答えるのも良し。
その答えが今の自分だ。今この瞬間を生きている自分だ。自分を信じることが出来なくて、誰が自分を信じるんだ?自分を信じられない人に人は寄らないし、自分が見えていない人は寂しい。なによりも、他人からは全く魅力的には見えない。
時には、全く根拠のない自信も必要だ。
周りを気にしない
もう十分だ。その気になればコミュニケーションは十分できるんだから、もっとたくさんの経験を身につけよう。そして周りなんか気にせずにやりたいことをやりたいだけやろう。知らないことは、特にやってみよう。
無様でも痛い人でも良い。クソみたいなプライドは捨てよう。幼い頃から”なんとなく”で生きてきたんだ。今までは今までだ。知らなかった分、自分に時間とお金を使おう。失敗しても、全部勉強代で精算しよう。
今の時代、日本に住んでいれば大抵のことはできる。後ろ指を指されるようなこと以外は、なんでもやったら良い。
周りがなんと言おうと、それをただ”なんとなく”でも良いから全部やってみたらいい。
ただし、自分で決めてだ。自分でやりたいこと以外はやらない。絶対。人が何言おうが関係ない。自分にはやる必要がないからだ。
とにかく、自分の人生の舵取りをしている”感覚”を見につけよう。人の顔を伺って終わる人生が良いと思うならそれで良い。それが自分のやりたいことなら。
笑われたって、恥ずかしくたって関係ない。”なんとなく”も貫けば生き様だ。この場合の”なんとなく”というのは前向きな意味であることを勘違いしないようにしてほしい。今までのなんとなくとは180度意味の違う”なんとなく”にすることが重要だ。
ある物事に挑戦したくなるとき、どうしてもやってみたい、自分という主観で理由を説明できますか?
ワクワクする理由を説明できますか。
説明なんかする必要ないよ。人生なんかすごくシンプルだ。迷う必要すらない。
ただ、やりたいから。
ただ、ほしいから。
それだけ。心に素直に生きよう。
今を大切にする
今、楽しい?楽しくできてる?
中途半端が癖になっている人が、この問いの本当の答えを知るのは非常に難しい。
とにかく「熱しやすく、冷めやすい」体質だから。
なぜ熱しやすいのか。これは単純に自分は情熱の塊であるからだ。と自信を持とう。2度言いたい。自分は情熱の塊なんだ。何も情熱を感じない人より、何倍もワクワクできる心を持っている。
なぜ冷めやすいのか。先にも書いたが、自分で探すことができないからだ。自分で探すことができないから、最初の「楽しい」しか見つけられない。
楽しいって気持ちを続けるのは、情熱だけじゃない。
情熱という材料があって、その材料を調理する方法を知っている人だけが美味しく人生を頂けるのだ。
楽しいを見つける能力。これが圧倒的に足りない。絶対的にこれが足りないんだ。楽しいって思う材料をもっと探さなきゃいけないし、自分のはじめから持っている情熱と、その見つけた材料で、調理する方法も見つけなけなきゃいけない。
今の自分は、ダイヤモンドが目の前にあっても、見つけることができない。それがダイヤだと知らないから。
だから、もっと知ろう。知るために、もっと視野を広く持とう。そして今一瞬を一生懸命生きよう。今の時間は最高の時間か?最高の時間じゃないなら、今すぐ最高の時間にする工夫をするべきだ。
思考停止して逃げることではない。最高の時間にするレシピを考えることが重要だ。
割り箸を割る。その行為すら今までの人生で最高の瞬間になる方法を考え、実行する。お尻で箸を割ろうとした人が出てきたのは言うまでもない。その人なりの楽しさを求めた結果がそれだったのだ。
素材はなんだっていい。調理方法次第で、自分にとって最高のものに作り変えるという気持ちが大切だ。
それができれば、気づくと周りが自分を真似していることに気づくだろう。
不要なものは捨てる
中途半端だと、物もなかなか捨てられない人が多いはずだ。ひとつ簡単なルールを決めよう。これを読んだ瞬間からの絶対ルールだ。
「10秒迷って、答えが出なければ捨てる、もしくはやめる。」
たったこれだけ。物体に限らない。思考も捨てる。思想も、選択も、決断も。
ただ、これは絶対に守らなければならない。
もったいないとかは考えてはいけない。まずは張り紙を作って、いたるところに貼ろう。
「10秒迷ったら捨てる」
玄関、トイレ、洗面所、リビング。
習慣になるまでとにかく何も考えないでやる。これは絶対ルール。
この一言で中途半端とさよならできる。そう考えればものすごく簡単なこと。人生はシンプル。必要なものだけを武器に戦う。不要なものを持つと、鈍くなる。すべてが、鈍くなる。
迷うようなものに、本当の意味の「価値」なんて無いのだ。
10秒以上迷うものは、心がほしいものではない。脳が考えている「欲しい」だ。
習慣を作る
これをができないから中途ハンパなんだ。そんなのわかってる。わかりきってる。
頭ではね。心はわかってない。
今、すぐできる習慣ってなんだ?家に入ったら、必ず一度はパソコンを開く。とか。それでいい。やりたいことなら、それでいい。
歯磨きや、お風呂でもいい。
でも、やりたくない日もある。そんな時は3分でいい。いや、1秒でもいい。
英語だったら、単語帳を手にとって、チラッと見て終わりでもいい。今日はやりたくないんだ。明日、またやればいい。
次の日、またやらなかった。その次の日も、その次の日も。
じゃあ、それは自分のやりたくないものなんでしょ。やめなよ。本当にやりたいことではない。明日からは絶対やるな。二度とやるな。絶対に。
そうやって選別したらいい。そして、できなかったことは本当に二度とやってはいけない。
こう言われると、二つの考え方ができると思う。あえてここについては触れないでおこう。これを読んでいる方は、一度実行してほしい。そして、どちらの考えになるか、この答えを見つけてほしい。人によって、どちらかの考え方になる。
そうやってできることが見つけるまで、何日も、何年もやる。でも、これすら続けられないのだからしょうがない。これができていればもうやっている。そう言いたくなるだろう。
でも、続けられることは必ず見つかる。それだけは真実。これ以外は信じなくてもいい。でもこれだけ信じよう。もし続けられる何かを見つけることができて、半年以上続けることができたなら、次はその習慣の続けられる理由と、楽しくなる調理方法を見つけよう。
そして似たようなものをいくつかみつけることができたら、もうその時既に幸せの欠片は掴んでいる。あとは、楽しいをたくさん見つけるだけだ。
いつのまにか、目標にまっすぐ向かってる自分になる。そのうち、その習慣をやらないと気持ち悪くなる。
それが習慣だ。
100回飛ぶことよりも、1回飛ぶことのほうが難しいという。
だから、とにかく始めよう。そうすればあとは簡単だ。
まとめ
中途半端すぎた人生にピリオドを打てるでしょうか。
嫌いなことは当然続かない。というか、続けてはいけない。
だから、続かないことは早めにやめて、新しいことをやれば良い。
ただ毎日にフォーカスして、楽しいが続いている自分を感じて、もっと楽しいという気持ちを大切にしてほしい。
自分の楽しいことって何だ?
これがそのうち感じることができるようになり、分からないうちは周りに流される人間になる。
中途半端と感じているということは、まだまだ自分に挑戦できるということだ。
こだわりを持つ必要は無い。
今の自分が、次の瞬間の自分に影響を与えている。
だから最大限に人生を楽しもう。
同時に、楽しいというのは作り出すことができることを忘れないでほしい。
心に素直に。欲しいから、やりたいから、嫌だから、好きだから。
それで十分。子供であれば理由は本当に説明できないだろう。大人は理由をあとで適当に付け加えれば十分。体裁を整えることができるのも、大人だ。
そうすれば、周りから見ると信念のある人に見え、魅力のある人間になれる。本人は、ただやりたいことをやっているだけだ。
中途半端な性格は、熱い情熱を持っている証拠だ。
「幸せは心が決める」
自分を受け入れるか、変わるか。
それすらも、結局好きにしたらいい。